2017年04月14日

アローエクスプレスと柴田政人騎手

16日に、競馬の皐月賞が行われますが、この時期になると、アローエクスプレスと柴田政人騎手の「柴田政人騎手乗り替わり」を思い出します・・・
 
このレース(皐月賞)は、1970年にタニノムーテイエが勝ったレースですが、柴田政人騎手の乗り替わりで、リアルタイムでは見ていませんが、印象に残っています・・・
 
アローエクスプレスは、デビューから6連勝で、スプリングステークスに向かい、ここでタニノムーテイエの2着に敗れ、皐月賞でもタニノムーテイエの2着に敗れます・・・
 
スプリングステークスで、アローエクスプレスが2着に敗れると、馬主の伊達秀和氏は、当時若手騎手だった主戦の柴田政人騎手をベテランの名手・加賀武見騎手への乗り替わりを所属の高松三太調教師に指示・・・
 
柴田騎手は、乗り替わりに納得が出来ず、高松調教師に抗議したが、高松調教師は、「誰よりも自分が乗せてやりたいが、馬主もファンも許さない。アロー(エクスプレス)は日本一になれる馬だから日本一の騎手を乗せる。悔しかったら加賀武見を超える騎手になれ」と涙ながらに諭したといわれます・・・
 
この「経験」で、発奮した柴田騎手は、日本を代表する騎手へと成長します・・・
 
また、柴田騎手を降板させた伊達氏とは、その後も良好な関係で、伊達氏の持ち馬のファンタスト(皐月賞)、ブロケード(桜花賞)で柴田騎手はクラシックを勝利している・・・
 
柴田騎手が騎乗馬の選択に、義理・人情を重んじ、フリーが一般化する中で、最後まで、高松三太・邦夫親子の高松厩舎所属を貫いた(三太氏の後、邦夫氏が調教師になる一時期を境勝太郎厩舎所属になったのを除く)のも、この「経験」があるからかもしれません・・・
 
同期の岡部幸雄騎手が騎乗馬の選択などに私情を入れず、フリーの先駆けだったのとは、対照的です・・・
 
アローエクスプレスは、その後、日本ダービー5着(タニノムーテイエ1着)、菊花賞9着(タニノムーテイエは喘鳴症のため11着で、このレースで現役引退)などで、脚部不安とつきあいながら5歳まで走り現役引退・・・
 
現役引退後は、種牡馬として、中央競馬と地方競馬を合わせた1980年・1981年の全日本リーディングサイヤー(この間は中央競馬のみはテスコイボーイがリーディングサイヤー)として成功・・・
 
競走馬としては、タニノムーテイエが勝利しましたが、種牡馬としては、アローエクスプレスが勝利・・・


柴田政人については、「柴田政人」「柴田政人を知るおすすめ作品」をご覧ください・・・
posted by keiba-meeting at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | 更新情報をチェックする
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